衰退都市と高齢者の共通点

医療

日本の人口が減り続ける限り、地方都市は終わり方を見つけなければいけません。

人口が増えるときと減るときで未来の考え方は全く違います。農業や漁業などの産業がないところは「終活」を考えるべきだと私も思います。

ですが日本では絶対にそれはしません。その地域の議員が地域の存続のために補助金をとってきて、人が一人しか住んでいない島に橋を渡したりするわけです。その人をほかに移住させたほうがはるかに安上がりなのに、その人の「そこにすみたい」「行政は住めるようにまちづくりをするのが当然」などという考えに従うしかないのですね。

次に地震が東日本大震災級の大きな地震きたら、その地方は一旦諦めて全員引っ越したほうが安上がりで住人が増えた地域は豊かになりますしいいのですが、絶対にそうはならない。延々と無駄金を投入して非効率な復興をすることになるでしょう。

その代償は国民全体が負うことになります。すでに日本は経済成長できなくなってきましたが、無理に地方を維持しようとしてコストが掛かっているからにほかなりません。

ミクロの話では高齢者医療も同じです。かならず人間は死ぬのであり、どこかで諦めをつけてやめるべきところに数千万円といったお金を投入しているのが日本の医療。その代償は増え続ける社会保険料という形ですでに払っているはずです。結果みなが苦しむだけです。

タワマン、団地と戸建てという形でも、行政サービスやインフラという点で効率的なのはタワマン、団地です。非効率なものも皆でお金を出し合えば少ないコストでできるというのがいままで地方都市でも正当化されていましたが、その負担はもはや限界ではないでしょうか。

すべて効率化するとよくないのはわかりますが、それは「贅沢」です。もはや贅沢なんてできる余裕は日本にないわけで、効率化を推し進めるべきではないでしょうか。

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